瀋陽・つまみかんざし三代展 4

2002年6月21日(金) 〜 25日(火)



 瀋陽で働く人の給料は、3,000元〜4,000元(日本円で48,000〜64,000円)
 自転車が、1台1,500元(24,000円)
 自動車は、1台16万元(256万円)
 タクシーは、4km迄10元(160円)
 デパートの地下駐車場、5元(80円)
 有料トイレ、5角(8円)
 マンション、100平米(約30坪)30万元(480万円)

 政府は住宅購入を奨励し補助金を出しているそうです。そのため街のあらゆるところで再開発が進み、古い民家が壊されビル建設のラッシュとなっています。さすがに自転車は多く、また自動車も同様にたくさん走ってます(ドイツ車・日本車・中国国産車など)。広い道路でも信号や横断歩道が少なく、自動車は人と自転車をクラクションで退かしながら走ってました。
市内
<瀋陽市内>
大連
<大連の路面電車とトロリーバス>
  展覧会の会期中合間を縫って、大連・旅順・鞍山と観光しました。大連は人口540万、坂の街。路面電車やトロリーバスが走り中国名物の自転車の姿はほとんど見られません。貿易・金融の国際都市として、美しい街並みが観られ「北海の真珠」と呼ばれているそうです。貿易港としての歴史があるせいか、人も街も私の知っている中国とはどこか違う感じがありました。中国が初めてという観光客もあまり違和感なく過ごせる街、といった感じでしょうか。港街なので海鮮料理が名物だそうです。
 大連から瀋陽の移動(約370km)は高速道路、車の旅です(「せっかく東京へ来たのだから、名古屋へも観光へ行こう」という距離ですね、ついでに行くにはチト遠い)。トウモロコシとコウリャンの緑色した畑が地平線まで続く真っ只中を、私たちの車は走り抜けます。赤い夕陽が西に傾いて広大な中国大陸が身にしみた頃、瀋陽の街が見えてきました。 大地
<中国の大地>
918
<918歴史博物館>
 中国の人たちの説明の中に「満州時代には」との言葉が時々聞かれました。この(満州)時代に作られた建物・街並みが今も残り日本人には郷愁と映るようですが、中国の人たちには侵略の証しとして誰もが承知している事実であることを改めて確認させられました。
 1931年(昭和6年)9月18日、当時の奉天(今の瀋陽)にある柳条溝で鉄道の爆破事件が起こりました。これを契機とて日本軍と中国との武力衝突へと発展し、翌年(1932年)の満州国建国へとつながって行きます。いわゆる「満州事変」です。この爆破事件の地が、瀋陽北駅の近くにあります。現在はその日付から「918歴史博物館」と名付けられ、この出来事を今に伝えています。
 過去3回中国を訪問し、つまみかんざしを通して友好文化交流を図ってきましたが、東北三省(遼寧省・吉林省・黒龍江省)は他の地域とは違うとの認識を深く感じとれた瀋陽の展覧会でした。



出発前に、6月11日付の毎日新聞・朝刊に「つまみかんざし三代展」の事も掲載されました。



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(西安展)